予測と予想

こんにちは🌸利用者キクチです✨

↑の文章は、ブログを書くたび、ちまちまと入力しているのですが、最近予測変換に「次これ入力するでしょ?」と提案されるようになってきました:(;゙゚’ω゚’):
予測変換って賢い。でもたまに怖くなる時もあったり……。
でも挨拶は大事なので、これからもこのご挨拶を使っていく予定です。

今回は、そんな「予測」「予想」についてのお話です。

「予測」は、辞書によると、「将来の出来事や有様を何らかの根拠に立って推し測ること。その内容」ということだそうです。
「予想」は、「物事の成り行きや結果について前もって見当をつけること。また、その内容」だそうです。
二つの言葉は、これだけなら明確な違いはありません。
ただし、「予測」という言葉は、明確な根拠、例としては数字的なものに基づいた根拠があって、使われることが多いそうです。

例えば、皆さんは、こんなことを考えたりはしませんか?
「こう言えば、相手はこう返してくれるだろうから、こういう言い方をしよう」
「こういうふうに行動すると、相手はこういう反応を返してくるだろうから、やめておこう」

さて、これらの考えは「予測」か「予想」か、どちらでしょう?

結論から言うと、これらは全部「予想」であり「予測」です。
数値的なものに、基づいていない、と言う意味では、「予想」。
でも、「相手が過去にこう行動した」と言う根拠がある、と言う意味では「予測」です。

でも、それが、私たちの行動を制限することも、あります。

「前にこう言われたから、これをしてはいけない」
「前にああ言われたから、今もきっとそうだろう」
「昔、〇〇さんがああ言っていたから、それを守らないと」

少し難しい話にはなりますが、誰の影響も受けていない人間は存在しません。
家族、友達、上司、部下、子供……。他にも、いっぱい。
みんな、自分ではない誰かの言葉、誰かの行動、誰かの思想に、影響を受けながら生きています。

でも、それで自分の行動が、制限されてしまうのは、なんだかもったいない感じがしませんか?

「やったらダメって言われたから」
「やっても無駄だって言われたから」
「自分のことを、ダメな奴だって言った人がいたから」

言われたことは、事実かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、その「影響」で、「予測」や「予想」をして、「やらない方がいい」って結論づけて、やりたいことをやれないのは、もったいない!と思うんですよ。

だから、OHANAでは、その方が「やりたい」と言ったことは、「やっちゃダメ」なんて言いません。
「それいいね!」とか、「やってみなよ!」とか、「じゃあ、それをやるためにはなんの準備がいる?」と、みんなが、前向きに提案してくれます。
逆に、「これをやりたくないんだけど……」と提案した場合も同じ。
「そっか、やりたくないんだね」「じゃあ、やりたいことを探そう」と、優しく受け入れてくれます。
OHANAは、そういう場所なんです。

私も、OHANAで、「やりたいこと」をやっています。
他の利用者さんも、イラストを描いたり、動画編集をしたり、歌を歌う練習をしたり、ダンスをしたり、「やりたいこと」をやっています。

「やりたいこと」があるのに、足踏みして進めない、というあなた。
OHANAで、「やりたいこと」への一歩を踏み出しませんか?

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