檸檬忌🍋💣

こんにちは🌺 利用者:凌霄花のうぜんかずらです🍋

本日、3月24日は、「檸檬忌れもんき」。
小説「檸檬」や、「桜の樹の下には」を書いた小説家、梶井基次郎の忌日です。

先日、好きなYouTuberさんが、
「好きな小説の、痺れた1行目(話の入り)を語る」
というテーマで制作された動画を見ていたのですが、その動画の中で、梶井基次郎の「檸檬」も紹介されていました。

「檸檬」の始まりの一文は、こうです。

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。

——「檸檬」(梶井基次郎)

動画では、「檸檬」の「最初の一文」を紹介された方が、
「この『不吉なかたまり』を、『不吉なたましい』と間違えて読んでいた」
という、面白エピソードも語られています。

でも、その話を聞いた後、「檸檬」を改めて読んでみると、
「確かに、『塊』じゃなくて『魂』でも意味は通じるな」
という感想を持ちました。

この「えたいの知れない不吉な塊」は、「檸檬」の主人公の憂鬱な心情を表しているとされています。
私は、小説を書くとき、「憂鬱」を表現しようとすると、「重々しい」とか「重苦しい」という表現を使いがちになってしまうのですが……。
それを、「重さ」という一面からではなく、「原因や正体は不明だが、自分にとってよくない実体のある何か」として表現した梶井基次郎は、やっぱりすごい小説家だなと思いました。

「檸檬」のあらすじをかいつまんで説明すると、
「精神的に調子の良くない主人公が、とある果物店で檸檬を買い、その後丸善に立ち寄って、積み上げた画集の山の上に、果物店で買った檸檬を置いて、『あの檸檬がもし爆弾だったら』と想像しながらその場から立ち去っていく」
……というお話です。

正直、このあらすじを読んだ方は、「それだけ?」と思われるかもしれません。
確かに、良い意味でも悪い意味でも、「事件」は起こりませんし、主人公が「劇的な体験」をするわけでもありません。

ですが、精神的に調子が悪いとき……
例えば、嫌なことがあったとか、その嫌なことをずっとぐるぐる考えてしまうとか、落ち込んでしまってそこから回復できないとか、そういう状態の時。
そういう、調子の悪い時に、「檸檬」を読むと、多分、めっちゃくちゃ心に刺さるというか、共感できると思います。

極端な例かもしれませんが、
「嫌なことばかりだから、職場に行きたくない。ある日職場が何らかの理由で粉々になって、会社に行かなくてもいいような状況にならないだろうか?」
というようなことを——もちろん、現実的にはそうなることはないし、そうなることはないと十分に理解した上で——たったの一度でも考えたことがある方には「刺さる」と思います。

また、梶井基次郎の「桜の樹の下には」という短編も、個人的にオススメです🌸
「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!」という、あまりにも有名な一文で始まる短編です。

ただ、「檸檬」も「桜の樹の下には」も、調子のいい時、気分のいい時に読んでみるのは……
ちょっとオススメできないですね……。
どちらも、「暗い」小説なので……。

できれば、調子のいい時、気分のいい時は、そのままでいてください。
でも、調子の悪い時、憂鬱な気分の時に読むと、多分、共感できる部分が多いかと思います。

「これくらい、感性的にも文章力的にも『尖った』小説が書けるようになりたいなあ🍋」
と、少なくとも私は思いました。
私は「檸檬」も「桜の樹の下には」も好きです。

それでは、本日はこれにて失礼させていただきますm(_ _)m

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