詩人・高見順について「言語化」する。

こんにちは🌺 利用者・凌霄花です♪

本日、8/17(土)は、詩人の高見順の忌日「荒磯忌」だそうです。
「あらいそき」ではなく、「ありそき」と読むそうで、これは高見順の詩集にちなんだ名前です。

高見順の詩集「死の淵より」を読んだことがあるのですが、なかなかすごい詩集でした。
高見順が、食道ガンの手術の後に書いた詩の数々をまとめた詩集なのですが……

簡潔にいうと、「暗くて重い」んですよね。
なので、すご〜く好き嫌いの分かれる詩集だと思います。
でも、例えば、中原中也の詩が好きな方は、多分、惹かれるものがあるのではないかと、個人的には思っています。

作者である高見順の、食道ガンとの闘病については特に何の知識もなかった私。
でも、なんとなくなんですけど、闘病を頑張られる方って、「生きたい」という意志が強い方が多いんだろうと、勝手に思っていたんですよね。

でも、「『高見順の詩集』は、それとは、違うな」と思いました。

詩集「死の淵より」に見えるのは、「確実に忍び寄る病の影」ではなく、「今そこに厳然として立つ死の姿」という感じがするんです。

「忍び寄る」ものなら、なんとか逃げ出すこともできるかもしれない、まだ希望がある、という気もするでしょう。
でも、目の前に、いくら振り払おうとも、いくら逃げ出そうとも「そこにいる」死という現実。
それが、自分の目の前にある、ということを、見つめ続けなければならなかった人の詩集、という気持ちがするんです。

だからなんでしょうか?
中原中也の詩集は、悲しい現実を直視しなければいけないながらも、どこか戯けている感じがある詩もある。(詩でいうと「骨」とか「サーカス」とかですね)
だけど、高見順の詩集には、それがなく、ただ、いくら直視しがたくとも、しなければならないという現実を見ている気持ちになるので、少し気持ちが暗くなるんですよね(´・ω・`)

でも、暗い気持ちになるのが悪いことではなくて……。
多分、そういう現実もある、そういう詩集もある、そういう詩人もいた、という事実を、飲み込むのに時間がかかっているだけだと思うので、悪い気分の落ち込み方ではないんです。

でも、それを、少しずつ受け入れ始めた今だからこそ、私はこういうブログが書けるようになったのかな、と思います。

以前は、多分、高見順のことを、「読み手を選ぶ、暗くて重い詩を書いた方」としか説明ができなかったと思うので、こうして言語化ができるようになったのはいい傾向かもしれません✨

ちょっと暗くて重い話が多めになってしまったのですが、でも、悪いことばかりではないと信じて、今日もOHANAでの作業、がんばります💪

それではみなさま、今日もよい1日を♪

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